「いいかい、お前は人形。人ではない。」
人を憎んだり、妬んだり…そんな人間的な感情を持ってしまったら、
その綺麗な人形のままではいられない
A Funeral March -Intermezzo-
朝、窓から明るい光が差し込む。
――――たしか昔は、僕が起きると母さんが朝食のお皿を並べながら「おはよう」っていってくれたんだ。
懐かしいにおいがする…キラは薄く目を開いた。
その視界に入ったのは、光を浴びてキラキラと輝く長い桜色の髪。
そして高めの澄んだ声がする。
「キラ様、朝ですわ。今日は学校はありませんの?なければよろしいのですが、もしあるのなら急がないと遅刻してしまいますわ。
それに早く起きて下さらないと、せっかく作った朝食も冷めてしまいますのに…。」
そういって彼女は困った様な表情を浮かべ、立っていた。
「はぁ…って、え?あ…へ?」
慌てて周りを見渡すが、そこは自分の部屋。
特に変わったところもない。
なのに…
「えーっと…君は?というか、どうしてここに?」
「わたくしはラクス=クライン。けれどどうしてなんでしょう?気付いたらこうなっていましたの。
だからわたくしにもわかりませんわ、キラ様。」
そうにっこり笑って返した少女に、キラは「はぁ…そうですか。」とどこか間の抜けた返事をする。
そして、ふと昨日のことに考えを廻らせてみる。
―――ディアッカにあの人形をもらって…あれ?
その後の記憶がない。
キラが1人うんうん唸っていると声が掛けられた。
「さぁキラ様。朝食、お食べになられますでしょう?」
「あ、うん。…いただきます。」
テーブルに並ぶ料理の数々に顔を綻ばせながら、手をあわせて食べ始めた。
「美味しいっ!!」
「まぁ…それはよかったですわ。そんな風に楽しそうに食べて頂けるというのは、とても作り甲斐がありますわね。」
キラの反応に満足気なラクスの前には、キラとは違いなにもない。
それに気付いたキラは不思議そうに首を傾げた。
「ラクスはもう食べたの…?」
ラクスの表情が驚きに変わり、そして意味深な笑みに変わった。
それは少し憂いを含んだ表情で…
「わたくしは何も飲みませんし、食べれませんもの。」
「なにか病気とか…」
そこではっ、と気が付いた。
昨日ディアッカにもらった木箱。それは蓋をあけたままの状態で…中にはなにもなかった。
その箱の横には人形が着ていたはずの黒いドレス。
ならば肝心の人形は…
「…君?」
「やっとお気づきになられましたか。」
くすくすと笑みをこぼしながらいった。
「そっか…って、え?な、なんで人形が動けるの…?」
「それはさっき申し上げたとおり、わたくしにもわかりませんの。初めての体験ですのよ?」
わくわくと声を弾ませながら、ラクスはキラをみた。
「それはそうと、キラ様。学校はよろしいんですの?」
ラクスにいわれてキラは、はっと壁に掛かった時計を見る。
それが示す時間は…
「ち、遅刻だ!またなにか嫌味をいわれちゃう!!ゴメンね、ラクス。
僕がいない間、この部屋好きに使ってくれて構わないから!!」
そういって、さっと鞄を持ち、靴をつっかけて外に出た。
「…あら。もういってしまいましたわね。」
ラクスが後片付けをしようとテーブルに向き直ると、また勢いよく閉まったはずのドアが開いた。
「ラクスっ!!」
息をきらしながら、行ったはずのキラが立っていた。
「あら…キラ。忘れ物でもなさいましたの?」
そのラクスの問いには答えず、キラはなんとか伝えたかった言葉を紡いだ。
「ありがとうっ!!」
少し赤いのは走って来た所為か、それとも…
ラクスも訳がわからないまま、返す。
「どういたしまして。さぁ、キラ。今度こそ『いってらっしゃい』ませ。」
少年はまたいそいで走り出す。
しばらくいえなかった「いってきます」を残して
「キラ=ヤマト。僕の授業に遅れて来るとはいい度胸じゃないか。」
「はい、すみません。セイラン先生。」
「理由をいってみなさい。ボクも鬼じゃない。人として大切な『思いやる心』というものは持っているつもりだよ。」
そういって教師はキザったらしく薄紫色をした髪を掻き揚げた。
「…朝ご飯を食べて、話をして、言い忘れがあったのでもう一回家に戻っていたら遅くなりました。」
それを聞いた途端、教師は勿論、2人の動向をハラハラしながら見守っていたクラスメイト達もぽかんと口を開けた。
「キラ=ヤマト。君はボクをおちょくっているのかい?」
「いいえ、先生。僕は本当のことを…」
「教師をなめるのもいい加減にしなさいっ!君はこの時間水を入れたバケツを両手に持って立ってなさい!!」
そう足をくの字に曲げて叫んだ。
「…っていうことが、あったんだよ。」
キラは目の前にいる少女に、今日あった一連の騒ぎの顛末を話して聞かせていた。
「まぁ…でもそれならわたくし、とても申し訳ないことをしてしまいましたのね?」
「そ、そんなことないよ!!だいたいラクスが起こしてくれてなかったら、僕はもっと遅れていただろうし。」
それに…
言葉を続けようかとも思ったがやめておいた。
口にだしてしまえば、そこで終ってしまうような気がした。
そう、これはただの夢で気がついたらラクスもただの動かない人形に戻っている。
そしてまた僕はココで…
「……ラ、キラ?どうかなさいましたの?」
はっと顔をあげると、ラクスが心配そうな瞳でこっちを見ている。
「大丈夫だよ。なにもない。」
あいまいに微笑んだ。
―――大丈夫。動いてる。彼女はココにいる。
そう思ってキラはそっと、ラクスへと手をのばす。
そっと頬に触れた。
本当の人間のように柔らかいのに体温がない。冷たく、けれど…
「わたくしは人形ですもの。たとえ人の姿をしていても…いつか醒めてしまう夢なのかもしれませんわね。」
今朝見たのと同じ表情を浮かべた。
「…かないで。」
「え…?」
「いかないで、どこにも。無理なのかもしれない。だけど…もう少しだけでも、ココに。」
いわれた少女は目を見開いた。
そしてふわりと笑う。
「ええ、一緒にいましょうね、キラ。ずっと…」
約束した通り、一緒に静かで穏やかな、けれど楽しい日々が続いていた。
そしてある日の学校の帰り道、キラは久しぶりに双子であるカガリと会った。
「あれ、キラじゃないか。久しぶりだな、元気にしてたか?」
「うん、まあね。カガリは…聞かなくても元気そうだね。」
そう他愛の無い話を延々と続けた後、カガリが目を輝かせてキラに尋ねた。
「なあ、キラ。またこうして話をしよう。そうだ、来週もこの時間に。どうだ?」
「そうだね、うん。いいよ。じゃあ、来週のこの時間に。」
そういってそれぞれの家路へと急いだ。
「ただいま!」
「おかえりなさい、キラ。なんだか今日はとても楽しそうですわね。」
「そうかな?そんな変わりはないと思うけど…」
「いいえ、そんなことはありませんわ…」
その時のラクスの表情に滲んだ寂しさを、キラは感じ取ることができなかった。
そうして組み合わさった歯車が徐々にずれてゆく。
そしてラクスは見てしまった。
彼が1人の少女と仲良さそうに話しているところを。
自分の前では見せないような笑顔を浮かべて楽しそうに話している。
今日の食材などが入った紙袋をぐっときつく抱え込み、唇をかみ締めた。
どこかでわかっていた。でも、思いたくなかった。
けれど…自分にはキラが『絶対』で『全て』だけれど、でもそれがキラにとっても同じとは限らない。
それを改めて思い知らされたが、顔にいつもの微笑を貼り付けたまま家に帰った。
―――今日はなんの予定だったかしら…
ただそれのみを思い浮かべながら
家に戻って今日の夕食を作り始める。
野菜の下準備をして、鍋を温める。
何かをしていたかった。動いていたら考えずに済むから。
けれど、彼女の手が止まった。
その途端浮かぶ様々な感情
―――なぜ?どうしてわたくしは人形なの?
彼女がいなければ彼はきっと、ずっと…
悔しい、哀しい、寂しい…だから苦しい。
…だからこそいとおしい。
ゆらりと世界が歪んだ。
そしてまるで息が詰まるような圧迫感が襲う。
しばらくすると、歪みも圧迫感も消えていった。
―――残ったのはただ胸の痛み…