テーブルの上から、うっかり落としてしまったティーカップ。
中に入っていたカモミールの紅茶も、壊れてしまったカップも、私の力ではもとには戻せない。
…なら、知らない間に壊れてしまった彼の記憶は?
それもきっと…
だって私は傷付いた貴方をみたくない、傷付けたくない。
そういって手を引っ込めてしまうから…
僕が望む永遠−04−
撃たれた傷の方には、あまり目がいかないらしい。
それよりも…
「キラが記憶喪失!?撃たれた拍子に頭でもぶつけたのか?」
紺色の髪の少年が、ありえないというように聞き返した。
「いや、ぶつけてはないと思うんだが…日頃の疲れとかストレスとか、そういうのでかもしれないって。
とりあえず!キラは今診察中だ。それでラクスはプラントの方に連絡を入れるって…」
「…そうか。」
そこでカガリはふうっと息をついた。
「でもな、アスラン。私気付かなかったんだ。」
「…なにがだ?」
「キラに記憶がないってことがだよ!
だってあいつ私が部屋に行った時にはラクスの髪で遊んでるし、『おはよう、ラクス』とかものすごい笑顔で言うし!」
「…へ、へぇ」
「アスランっ!あいつの回路は一体どうなってるんだ!?」
…そんなこと聞かれても。
「…カガリの方がよくわかるんじゃないか?」
…いろんな意味で。
結構似ていると思う。いろいろなところが。
もし彼らが一緒に育ってきていれば、もっとそっくりになっていたのかもしれない。
もちろん、かの人が言ったように″もし″なんてありえないけれど。
「でも思ったより元気そうでよかった。」
「キラか?」
「キラもだけど…。目の前で撃たれたって聞いたから、もっとボロボロかと思った。」
「…って私のことか!まぁな。ぼぅっとしてたら…きっとキラにも怒られる。
それに仕事も無駄に増えるだけだしな。けどキラがこのままだったら…ほら私は友達にしたってあんまり変わらないじゃないか。だけど…」
カガリはすいと待合室から窓の外を見た。
「ラクスはどうするんだろうな…」
「えぇ。ではこのコンサートは、その日に延期ということでお願いしますわ。」
そういって通信を切る。
ふぅっと肩の力が抜けた。
ずるずると近くにあった椅子に座る。
あと何日で彼は自分のことを思い出してくれるだろう。
あと1日?1週間?それとも1年?
どれだけでも待ってみよう。
きっと思い出してくれる。
そう信じて…
けれどやっぱり、胸にひろがるもやもやは消えてはくれなかった。
検査が終わって、戻ってきた病室。
改めて見回すと一人部屋にテレビもついてて、なかなかいい部屋だということに気付く。
一泊いくらくらいするのかなぁ…など考えながら、きょろきょろ辺りを見渡しているとそっと静かに扉が開く。
ラクスが入ってきた。
まさかキラが帰っているとは、思っていなかったのだろう。
いつもは見せないような沈んだ顔で、ふぅとため息をついた。
「…ラクス。」
突然声をかけられて、一瞬びくりとしたラクスだったがすぐにいつもの笑顔を浮かべる。
「おかえりになっていましたのね。わたくし、まだだと思っていましたの。
ですからノックもせず勝手に入ってしまって…申し訳ありませんわ。」
いつもの穏やかな口調とは違って、あせったように言葉を並べる。
彼女は嘘が上手い。
そして隠しごとも。
それは長年培ってきた話術のなせる業。
油断のならない大人達に囲まれて過ごしてきた少女の、重要な身を守る手段。
いかにして自分を隠すか。
どうやって相手に呑まれないようにするか。
相手に隙を見せず、それでいてかどをたてないで円滑に人との交流をはかる。
自分の為に、唯一の肉親である父親の為に…
けど目の前にいる彼女は等身大の、ありのままの少女だった。
急いで作った、少し不自然な笑顔では隠し切れず。
でもキラには彼女が浮かべていた表情の訳を、聞き出すことはできないでいた。
聞きたいのはそこじゃない。
言いたいのはそんなコトじゃない。
ぐっと手を握り締めた。
「そっか…」
少年は柔らかく微笑んだ。
心に淀みを抱えたまま…
薄く青い空に残るのは、見えるかみえないかわからないほどの白い月。
還りそこなってしまったかのように、一つ寂しく浮かんでいた。